熟睡状態や恍惚状態ではなく、分別、思考しない観察によって顕れる、覚醒した空無によるありのままの全体知覚、
この自覚智を武道において表現する、体現する事を奥義(おくぎ)と云い、生雲に於いては奥義に通じなければ、
武術、武芸ではあっても武道ではありません。
奥義、禅、止観、瞑想などと言われるものは、常に新しい生きた未知の知覚であり続け、普遍でありながら、
決して再現しない瞬間の中に在ります。
それは思考をもって先取りする事ができず、経験の中に所有する事ができません。
生雲に於ける武道とは、奥義への‘気付き’を表現、証明するための手段であり、自らが気付き得た境地が、
真実なのか妄想なのかを見極める手立てです。
生雲に於ける武道の要諦は奥義にあり、あらゆる技法等は状況による結果でしかなく、技術放棄こそ、
生雲の技となります。
武道に必要なのは覚悟、それは度胸とか開き直りの事ではなく、‘そういうもの’だという事に気付く事、
絶え間なく起きうる事実とその瞬間瞬間に躊躇無く一つで在る力です。
我々は全く同じ時、同じ瞬間は無いという事を知る必要があります。
昨日の出来事を今日捜し求める様に、二度と来ない時を追いかけ回すのが思考の特徴です。
武道稽古は瞬間瞬間に二度と出来ない事をやる。
どれほどの経験があっても‘今’という瞬間は何時だって初めて迎える未知の瞬間です。
経験はそれ自体既に過去であり、今この瞬間は未知であり同時にそれ切り。
何時だって初めて迎えるこの生きた瞬間と一つになる事によって、真理、事実との隙間が消える時に生まれる、
瞬間の閃き。
思考と肉体はそれを表現する道具として云わば自動的に過不足無く働きます。
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